pepetto

ぺぺっと不機嫌

サンタの味はきいてねえ

そのケーキ、おいしい?

って訊かれたときに、上に乗ってる砂糖菓子のサンタクロースの味を答えるのは、たぶん間違いである。

サンタはまずいけど、ケーキはおいしいよ。

ならわかる。ケーキの味についても言及してるから。
でも、サンタがまずい、とだけ答える人は物事の本質を見抜けていない人だと思う。

砂糖菓子のサンタがあまり美味しくないのは当たり前だし想像がつく。砂糖を固めて着色したものが、ケーキと肩を並べて美味なことなど希だ。

砂糖菓子のサンタは、ケーキの見た目に於けるデコレーションでしかない。


読む専門でアカウントを取得したnoteで、とある大学生が講義内で同性愛者を認めないといった同級生にブチギレた話を読んだ。

その同級生は、同性愛は少子化につながるので認めないと宣ったという。それはつまり、子供を産まなければ正しくないという意見だ。そしてそれは産みたくても産めないストレートの恋人たちや、それぞれの理想とする結婚で子供を作らないとしている夫婦、精子の少ない男性、病気で子宮を摘出しなければならなかった女性たちをも認めないという意見に遠くない。

恐らくその同級生は自分の発言がそこまで至るとは考えてもないだろうと思う。考えてもないということは、ただあなたが理解できないだけでしょうと言いたくなるのだけど。

さて、noteの筆者はその講義内で応戦。ぐぅの音も出ないほどに追い詰めたまではよかったが、最終的に同性では子供を作れないという事実は覆ることはない。その同級生の意見を変えるには至らなかったのが悔しかったようだった。

問題はそのnoteに対するコメント欄で起こった。

コメント欄ははじめ、そのひとがマイノリティ派に立って応戦してくれたことに関する感謝や、そういう考え方もあるかもしれないとか、同級生の方に立って意見したりとかいうコメントが寄せられた。

そのnoteにある記事の本質的な議論だとわたしは思う。

なのに少しして、筆者の口の悪さを叩き始める人が増えた。筆者は確かに怒っていて、同級生に対してそのnote内で暴言を連ねた。それは、怒りのなすがままに発散したのだと思う。

それからのコメントは暴言を吐いたら正論も正しさを失うとか、そこまで暴言を吐くのは筆者が馬鹿だとかいう暴言に論点をおいたコメントになってしまって、さらにこの記事において口の悪さは問題ではない、という意見に、馬鹿かよそんな事いったら何言ってもいいことになるだろうがというコメントが寄せられて。

罵倒罵倒のまた罵倒罵倒。

筆者はうんざりしたろう。わたしもうんざりだ。

暴言は怒りを表すデコレーションだ。もちろんそれは、暴言を吐いてもいい、ということにはならない。だけど、わかるでしょう。筆者は腹が立ったから、その日あった出来事をnoteに投稿した。それはただのブログや日記と同じだ。

当人に向かって死ねだとか言ったわけではないし、事実言いたかったのをこらえてこっそり発散したのだ。
そしてそれは、読んだわたしたちに向けられた暴言ではない。不快に思うのなら読まなければ良いのだ。冒頭数行を追えば、筆者の口調や気持ちの高ぶりが容易に想像ついた。つかないのなら読解能力が足りないのだ。

書き手は読み手のことを考える必要がそんなにあるか。
そんなに誰かに萎縮して書かなければならないか。
読者が取捨選択するべきだとわたしは思う。

そしてこの場合、わたしは暴言があったおかげですっきりした。同じ意見だからだと思うけど、わかるわかる!もっといったれ!と。

デコレーションとは本質をより伝えやすくするものだ。サンタが不味いのはケーキの味を引き立たせるためであり、見た目をキュートにし食欲を増進させるためだ。そしてその砂糖菓子がサンタであるならば、それはクリスマスを指し示す目印にもなる。

note内での暴言は、その同級生が考えもなく100人以上の人が話を静かに聞く講義内で、他人の気持ちを慮らなかった発言をしたことに対して猛烈な怒りを覚えたことを伝えるためのサンタだった。

そしてこの場合、議論されるべき本質はおそらく、少子化の原因が
必ずしも同性愛者か?それを講義内でたくさんのひとを傷つけて言った同級生は正しかったか?応戦の文句は間違いではないか?などだ。

少なくとも、筆者の暴言が正しいか正しくないかではない。

話をすり替えて、さも正論だとでもいうように暴言を排除する人達は嫌いだ。暴言はときに有効な武器であり、使い道はある。
他者を傷つけてはいけないということを、広域に捉えすぎてはいないか?

考え直して欲しい。

暴言は、死ね、バカ、などの言葉ではない。相手がいて、その相手のいちばんきついところを抉るのが暴言だ。筆者はその同級生の行動の愚かさに腹が立ち、論の根拠のなさに呆れて憤ったが本人には投げていない。

これは、理性で留まったということではないの?
わたしには、そのコメント欄で的はずれな論争をしていたひとたちが、note内の文章についてはよくわからないけどこういうのに一枚噛んでおいたらなんか社会派ぽくない?頭いいからさ〜わたし〜っていう人たちに見える。

わたしが筆者に感謝を伝えるために思い切ってカムアウトしたコメントは、そうやってたくさんの意味のない論争に流された。

その論争をしていた人達は気付いているか。

そこで仲間を見つけられると思って、おなじ気持ちの人がいると思ってしたコメントを暴言はダメだよ!なんてクソ当たり前の正義感で潰されたわたしのコメントに。傷ついているわたしがいることに。

本質がわかってる人は、コメント欄でそんなことを言い合わない。

筆者はケーキの味をたずねたのだ。
そこでサンタの味の論争をされても…ほとほと呆れるわ。

サンタがまずいのも暴言がよくないのも周知の事実。
そこを掘り下げようだなんて、暇なの?

と、少し前に思った次第。

ちなみにわたしはそのコメント欄で馬鹿みたいにヒートアップして見当はずれな論争をしてる人達み〜んな、この世に一切の跡を残さず消え去ればいいのにと思いましたね。